ツナロク

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最近の雑感

絶えず変化していかねばならない

ブログ更新、忘れていました。
前回記事を書いた2016年2月以降、変化したことを書こうかと思ったけれど、数えだすとキリがないくらいのいろいろな変化があり、気が遠くなりそうなのでぼちぼち書けることだけ書いていきたいと思う。まず仕事や暮らしの環境の変化は大きかったし、心身の調子の変化、仕事や趣味、人間関係への意識など変えざるを得なかったことがたくさんあった、と思う。一旦休めば良かったんだけれども、一度止まると次に漕ぎ出すペダルはめちゃくちゃ重いことを実体験として知っている…。振り返る時間が必要だとは思っているんだけども。
ただ飽き性で三日坊主なのは治っていない。

書いている

これまでコピーライティングはコピーライターさんがやるものと思っていたが、今の会社では外注しないので自分で書かねばならず、取扱説明書から商品コピーからSNSまで、とにかく何か「言葉を書く」時間が増えた。特にSNSなどにおいては、ひとつのもの(商品)から想像を膨らませて、読み手の納得を誘う文章を書けるようになるのが目標ではあるが、ゴールのない孤独なたたかいであり、日々難しさを感じている。だがそもそも本職はそちらではないため、力の入れ具合が中途半端になりがち。私は言葉をきれいにまとめたり、端的な表現を探すのは好きだけれど、ゴリ押しすることはどうも苦手なので、たぶんブロガーには向いてない。

CHEMISTRY 再始動後のシングル

前回、CHEMISTRYが復活するという記事で更新を止めてしまっていたので、おさらいに書きましょう!
彼らは再始動後、初シングル「Windy」を昨年2017年11月15日にリリース。秋の物憂げな空気と流れる風を頬に感じるような、そんな曲。"明るく生きよう"とか、"誰かの目を気にする"とかそんな体裁は考えなくてよくて、身体を吹き抜けていく風を感じる、もうそれだけでいいと思う。いつものことながら二人のハーモニーが沁みる。

今ならわかる 大事なモノは
カタチなんて超えてゆく
Love is like the wind 風のように
*1


CHEMISTRY 再始動後初シングル『Windy』MV

*1:Windy / CHEMISTRY / 作詞 : 松尾潔

今週の雑感

仕事をしているとき、あんまりものを考えていない

仕事のことしか考えていない気がします。それで何が起こるかというと「ブログ(日記)に書ける話題がない」「趣味がとくになくなってしまった(やばい)」という状態に陥るのですよ。
性格から思考から、完全に切り替えないと社会に適応できないので仕方ないんですけれど、ただ毎日働いているという日々です。

1月後半に入って、「おお、冬だな・・・」と思うような厳しい冷え込みを感じるようになりました。雪国ではないし、朝方以外は氷点下になることも少ないのに、寒すぎる。全然元気が出なくて。寒さに慣れていないだけかもしれない。
この冬はわたしのお財布も大変厳しいので、本当に早く春がきてほしいです。つらい。

2017年にやりたいこと

2017年もどうぞよろしくお願いします。

2016年の振り返りと言い訳からの、2017年にやりたいこと

昨年の振り返りをしようと思ったものの、ぼんやり「とにかく慌ただしかった・・・」という印象。一年間たくさんどたばたがあったのにかかわらず、そのとき気づいたことや改善へのプロセスをまとめられなかったのはもったいないなあと思いました。
そこで2017年は、少しでも記録を数多く残していければと思っています。
文章組み立ての練習としても、ものを書く量を増やすのは無駄ではないはず。

2016年、ライブレポを書けず。

昨年はライブにあまりいけなかった年でありました(自分比)。

まず1月にTuxedo、8月にMayer Hawthorneのライブに行けました。
8月のライブはビルボードでの開催。
ライブはお酒を飲みながらたのしめて、さらに終演後には握手と、LP盤にサインまでしてくださり感激…メイヤーありがとう。また日本に来て!

Man About Town

Man About Town


同じく8月にビルボードで、念願のかなめっちのライブ。
チケットも取れていたのですが、当日まさかまさかで仕事の残業が入ってしまい、終盤少しだけ見ることしかかないませんでした。ついていない!会場着いた時点で23時近かったと思うのですが…チケット代の支払いと入場はさせてもらえたので良かったです。

12月には京都の北野天満宮で「KYOTO NIPPON FESTIVAL」。
12月初旬、夜、底冷えの厳しい京都での野外フェスでしたが、冬の澄んだ空気の中で聴くライブはいつもとちがった趣がありました。
このフェスのトリに出演された大橋トリオさんのステージが大変素晴らしかったです。
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北野天満宮今出川駅からバスと徒歩でくたくたになりました。

というような一年間でした。2017年はもう少し行けたらいいのですが。(ライブ参戦回数の感覚がここ数年おかしい)
そしてライブレポートを書きたい。

2016年、仕事人としてのブレを感じる

年に2回転職を経験するという予想外の事態になりました。
スキルと体力さえあれば、ひとつの会社に縛られずに経験を積み重ねていくことができるのがデザイナーという職業の良い点だとは思うのですが。それでも数回転職をやっていると面接などで転職理由を伝えることが簡潔にできず、どうしても冗長になりがち。相互理解のために最善は尽くしますけれども、自分でも、このままで大丈夫なのかと不安に思うことも何度かありました。
2017年は環境のよい(自分に合っていると呼んだ方が適切かも)職場で、目の前の仕事に集中することが当面の願いであります。穏やかな気持ちで働きたいと思うのですが、業界柄でしょうか、そういう発言をすると首を傾げられることが多いです。穏やかなことは素晴らしいことなのにな〜。
年齢的にも勝負の時期に差し掛かってきているので、来年、再来年以降につながる仕事の仕方をしていければと思います。


以上、今週のお題「2017年にやりたいこと」でした。

長いやすみ

世間はゴールデンウィーク。私はなにをすることも、しなければならないこともなく、ぼんやりと過ごす。
こんなにゆっくり過ごすことはあまりなかったかもしれない。たぶん高校以来だから10年近くなんやかんやとあわただしかった。
冬の終わりに仕事をやめたり、地元に戻ってきたりして、ばたばたと日々は過ぎていったけれど、そのひとつひとつの事案に対して感傷を覚えることもなく。
やる気はあるわけでもないわけでもなく、つらいかと問われれば、とりあえず現状はつらいのかもと返すが、べつにつらいとは感じていない。
新しい仕事が決まったのでもうすぐこの休みは終わってしまう。
考える必要がないことを無理に考える必要はないと思う。
頭からっぽで1日が終わる。
今は考えるのがいやなんだ、ほんとうに。まだなにも新しい行動を起こしてもいない。
なにかを決めるのも、作るのもいやだ、なにもしたくない。

それなら、よくなったことはなんだと考えてみた。
地元に戻ってきてから、再発していた夜中にドキドキして眠れないという症状がなくなった。
これはよいことだ。
原因は不安によるもの。
小学生の頃は、夜ふとんにもぐると明日学校で起こることが勝手に頭の中で再生されて、ドキドキして全然寝付けなかった。
学校にいくと、友人たちに問いただされるのである。なぜ遊べないのか、なぜ言うことをきかないのか、なぜ宿題を手伝わないのかetc…
今でも問いただされるのは苦手だし、子どもの頃から、もう問いただされずに生きていきたいと願ってきた。
自分の一挙一動に他人が納得するような説明が必要なのか?
あのときに似たドキドキが止まらず、この前の冬はひどく憂鬱だった。


先月、モーリス・センダックの生前最後の絵本といわれる『バンブルアーディ』が出版された。
読みたいなあ、稼がなきゃなあと思っている。きっとぼんやりとしたまま休みが終わる。

今週のお題ゴールデンウィーク2016」

バンブルアーディ

バンブルアーディ

この4年間で変わったこと… | はてなブログ4周年

はてなブログ4周年おめでとうございます。

4年前の私は大学4年生でした。

4年前

その秋といえば卒業後の進路が決まっていませんでした。
のんびりとしたひとたちが集まった学科でしたので、周りも進路が決まっていないか、決まっていたけれど公言していなかったひともいて、大学4年の秋だというのに学生から内定報告がまったく来ないことで大学の就職課がお怒りだという教授の話をぼんやりときいていたのを覚えています。

私はというと、大学3年の冬休みには大規模な合同説明会に参加し、春には企業説明会へ行ったり、初夏には教育実習へ行ったり、学内の就職ガイダンスを受けたりと散漫ではありながらも卒業後へ向けての準備を進めていました。しかし企業への就職も、先生としての就職も、一旦はそれに本腰入れて飛び込んでみようかという思いにはなるのですが、入ったあとのビジョンをイメージしていくとどうももやもやとした気持ちが残り、進路を決めかねずにいました。

学生時代が終わるときというのは、誰しも大きな変化を感じるものではないでしょうか。
このとき決めた進路があとあと振り返ったとき、たとえ良いものでも深く後悔するものだとしても、
自分にとって大きなターニングポイントになってしまう、そのあとでは取り返せないような恐れる気持ちがあったのです。

というのも、子どもの頃から常に、いつか大好きな絵に関する勉強がしたいという思いがあったからです。
私にはその方向へ進むのが、このタイミングしかないと思いました。

4年前と変わったこと

結局、大学卒業後は2年制の専門学校へ進み、去年卒業し、今年社会人2年目を過ごしています。
4年前、大学在学中には知らなかった業界・職種で働いています。

この4年間で変わったことといえばほんとうにたくさんありました。
多くのひとと出会い、別れもありました。( いろんなかたちの )
関西の実家を離れ上京しましたし、1度転職を経験しました。
クリエイティブ職では転職回数はさほど気にしなくていいともききましたが、実状は如何に。それは私が後々体験していくことになるのでしょう。 ( おそろしい… )

この記事を書くにあたり、大学時代の日記を読み返したりもしましたが、当時はほんとうに何も分かっちゃいなかったなあと思い返していました。
仕事上の技術や作法は、仕事をやっていくうちに身に付けていくものなので、心配をし過ぎた部分もありました。始める前はあれを気をつけ、あれを読んどけという情報を仕入れ準備万端でいようと身体に力を入れてしまうものですけれど、過剰に頑張る必要はないのでした。どうしたって、自分を直さないといけない場面が来るのだから、それはそのときにすれば十分でした。
好きなことを仕事にできてよかったね、と周りから言われることもありますが、絵を描く仕事かといえば厳密にはそうではありませんし、自分が10代からパソコンをよく使用してデジタル操作に慣れ親しんでいたということや、几帳面であろうという性格などが、偶然この仕事で求められる特性のいくつかと相性が良かったのではないかと思います。これも社会人になってから気づいたことでした。

それぞれの転機で次の場所へ後押ししてくれた学校や仕事関係の方々にはたくさん支えていただいたというか、お世話になりっぱなしでした。私は人間関係に恵まれていたなあと、それは感謝をしつづけていくことだなあと思います。学生を卒業して、より大きく実感することのひとつです。また、それぞれの転機の決断のときにほとんど必ずといっていいほど反対してくれた両親、私が突拍子もないことを言い出す度に反論してくれたこと、社会の厳しさを説いてくれたことに感謝しています。私にとって両親は、すぐれた常識と良識をもったひとです。

自分のなかでは、だいたい2年ごとに変化のターンが訪れている気がするので、これからも日々変わっていくことを先入観持たず、できれば抵抗せずに受け入れていくしかないのだろうと思います。
実務の経験年数としては浅いのですが、年齢が徐々に30に近づいてきているので、社会のなかでの自分の立場も変化していくのだろうと予想します。

4年前と変わらないこと

変わらないことを拾い出すのは案外難しくて、たくさんあるはずなのに考えはまとまらず。
ただ、今はときどき後ろを振り返りつつも進んでいくしかないんだろうなーという予感のようなものは4年前と変わっていないです。
つづけることがあまり得意ではないので、それが難なくできたら一番よいのですが。
何ごとも、つづける強さがいる。


最後に、改めてはてなブログ4周年おめでとうございます。
はてなブログを始めたのはつい最近ですが、はてなユーザーさんの記事を毎日愛読してきました。
これからも、はてなブログで。

以上、お題「4年間で変わったこと、変わらないこと」でした。

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大阪府池田市にある五月山動物園のアルパカ、オークン。
(2011/11/23撮影)